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のえる(仮)のなんでもかんそうぶん

札幌市すすきの・大通界隈で(大体)1人で食べ歩きや飲み歩き、読書や日常などのなんでも感想文です。

チェーザレとの出会い

特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/pdmagazine

 

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷

塩野七生/著

この男をふたたびこの世に生かし、そして死なせたかった――。誰よりも若く、美しく、そして冷酷だった男の青春。

十五世紀末イタリア。群立する都市国家を統一し、自らの王国とする野望を抱いた一人の若者がいた。その名はチェーザレ・ボルジア。法王の庶子として教会勢力を操り、政略結婚によって得たフランス王の援助を背景に、ヨーロッパを騒乱の渦に巻き込んだ。目的のためなら手段を選ばず、ルネサンス期を生き急ぐように駆け抜けた青春は、いかなる結末をみたのか。塩野文学初期の傑作。

(引用:新潮社HP)

 

青春の一冊ということであれば間違いなくこの本を選びます。

 

小学生のころから読書は好きでした。

とはいっても、読んでいたものといえば『三毛猫ホームズ』シリーズなど、肩の凝らないライトなものが多かったです。

当然お金もなかったですし、それ以外の本は学校の図書室で読み漁る日々でした。

当時から好きだったのはいわゆる歴史物で、司馬遼太郎さんや吉川英治さんなどが多かったですかね。

日本史・三国志あたりが大好物でした。

 

ところがある日、全く偶然にこの『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』とその著者『塩野七生』に出会うのです。

母親について買い物に行き、本屋に立ち寄って三毛猫の新刊を手に取る私。

会計を済ませるも、母親が目当ての魚を買い忘れたということで時間が余り、本屋を徘徊します。

そこでこのタイトルを発見してしまうのです。

当時の私にはとても斬新なタイトルでした。

同時に中身が非常に気になってしまった。

吸い込まれるように手に取り、ぱらぱらとめくるとどうやら西洋史の本らしいということがわかります。

なぜかはわからないですが、無性に欲しくなったので親におねだりしたのを覚えています。

 

読み進めていくとこれが本当に面白い。

当時イタリア半島には法皇庁・ベネツィア共和国・ナポリフィレンツェなどの都市国家が群雄割拠し、そもそもイタリアという概念がなかったことも初めて知りました。

図書室でイタリアの情勢などを調べながら読み進めました。

舞台はルネサンス期のイタリア。

その他フランスやスペインなどの王国との宗教的・政治的・軍事的な綱引きも非常に興味深かったですね。

法皇アレッサンドロ6世の庶子(本当は実子だが聖職にあるものは結婚が認められていなかったため公然の秘密として庶子とされた)チェーザレ・ボルジアの苛烈で美しい短い生涯を、塩野さん独特の「男らしい」語り口で記述されている物語です。

(読んでいた当時は知らなかったのですが塩野さんは女性作家でした。チェーザレの描かれ方が非常に官能的な魅力にあふれていた為に違和感を感じてはいたのですが…。)

加えて、彼を間近で観察したマキャベッリ(君主論の著者で権謀術数主義の大家)など、魅力的な人物が脇に従う。

詳細な書評は省きますが、なにもかもが未知の世界で、刺激的でした。

 

面白かったと同時に、若かった私にとっては大変勉強になったものです。

このチェーザレは破天荒で冷酷無比な人物であるとされていますが、同時にいかにすれば効率的に最大限の成果を得ることが出来るか、を追求した人物であるといえます。

しかも自らの為に。

必要悪、とでもいいますか、領土・権力・人心を得るためなら、例え「悪」とされていることでもやってのける、しかし最速で。

私は悪になりきれるほど人間が大きくはありませんけど、良い事ばかりでも世の中は回らず、清濁併せ持つものが世の中を変えていける可能性もあるのだ、と教えられた気がします。

物語の主人公は「勧善懲悪」であり、闘う理由は誰かの為、という概念が根底から覆されたのです。

 

結果としてチェーザレ・ボルジアは私にとってのダークヒーローとなり、塩野七生さんはその後全著作を読み続ける作家さんになり、イタリアの歴史や芸術作品そして風景など現地に旅行に行くほどに好きになりました。

 

若いころに出会えて良かったと思える書籍です。

 

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)