のえる(仮)のなんでもかんそうぶん

札幌市すすきの・大通界隈で(大体)1人で食べ歩きや飲み歩き、読書や日常などのなんでも感想文です。

続々・或る営業マンの回想

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続きです。

 

【第六章】終わりに向けて

このようなことを5年ほど続けて、私と私を取り巻く環境が最終的にどのような状況になっていたかをお伝えしたい。

営業活動は至極順調だった。身を削って作り上げた販売システムは、こういってはなんだが、私がいなくても売り上げを作ってくれるようになっていたのだ。新規の販売店であったことも良いほうに転んだ。私からの希望や要求がある程度とおるからだ。おかげであまり手がかからないパートナーとしてうまく機能してくれていた。

ではそれで楽になったかというとそんなことはなかった。当初いた私以外の4名の営業のうち、3名までが退職していた。2人補充されたがそれも新兵、人数自体は少なくなっていた。結果的にベテランが担当していた顧客の大半を引き継ぐ格好になっていた。個人の売り上げは北海道支店の7割近くになっており、エリアは函館を除くほぼ全道に及んでいた。形式上は中間管理職であったため、自分の仕事と同時に新人への教育もせざるを得ない。

文字通り北海道を走り回りながら、顧客の無理難題を捌き、新規開拓をしつつ売り上げの追及。体調不良のため通院しながら、新人教育、接待、展示会、クレーム対応、勉強会。無意味で長時間の会議にも出席し、その為の資料作りもしなければならない。

ピーク時は事務所で、または出張先の道の駅で、あるいは自宅で、たった2時間の仮眠、一週間休み無し。これが1週間続いて合計睡眠時間が14時間。

めまいが常態化していたため、病院に行ったら血圧が上が150を超えていたことがあった。そして睡眠から覚めると、真っ白な見たことのない顔が鏡に映っている。その時の血圧は上が80しかなかった。

それまでは徐々に増えていた体重も、この時期からは激しく減少していった。腹が減っているのに食事がのどを通らず、好きなお酒も飲めなくなっていった。

ふと辞めていった同僚のことを思い出す。時には営業方針などで衝突したりもしたが、熱く議論を戦わせたり、一緒に飲みに行ったりした。皆良いやつだった。ほんの数年間だが本当に戦友だった。

だが彼らはいなくなった。「良いやつほど早く死ぬ」なんて言うけれど、ここで言う「死ぬ」ってことを「会社を辞める」ことに置き換えるのであれば、全く逆の意味になる。彼らは生き延びることが出来たのだから。

「悪いな。一抜けさせてもらうわ。」「辞めて明日から入院する。」あるいは「体力の限界。気力も無くなり、引退することにしました。」なんて千代の富士の真似をしてた人もいた。退職届も出したく無いと言って、営業だけで送別会をした翌日から来なくなったやつもいた。

私は皆と抱き合った。一人抜けるたびに。でも皆晴れ晴れとしていたんだ。

そして私も限界に近づいていた。

 

【第七章】限界の果て

思考停止が長く続き、毎日がもやのかかった状態で仕事をしていたためか、ある日突然忘れやすくなった。会議の時間や客先とのアポイントメント、遅刻も増えた。最初のうちは支店長も客先も同情を示して表面上は優しく咎める程度だったが、何度か繰り返すとそれは怒声に変わっていた。

出来ることが出来なくなっていた。

資料作成が終わらない。たかがエクセルのデータ入力がだ。会議中も返答が出来ない。ただ自分の営業先のことを聞かれただけなのにだ。

その都度怒鳴られ、罵倒される。悔しかった。

今にして思えばそのような状況下でもまだプライドが残っていたのである。いやプライド「だけ」が残っていたのかもしれない。

この時期には支店長を含む上層部の前に立つと、それだけで脂汗がにじむ。息が切れ、まともに喋ることもできなくなっていた。そうしていよいよ私はポンコツになっていった。これでは新卒の新入社員よりも使えない。

そうこうしているうちに、家で身動きが取れなくなった私がいた。そのまま3日ほど経って、病院に運ばれたらしい。

入院することになった。

 

【第八章】私を救う者

こんな生活を送っていながらも、私には妻がいた。

北海道に来てすぐに知り合い、同じように激務の会社で働いていた彼女とは妙な親近感を感じ、すぐに同棲を始めた。お互い時間が全く無く、勤務も不規則であったために、自宅で一緒に過ごすのはほんの1、2時間だけというのも当たり前だった。

そんな境遇の中で、互いにどういう心境だったかは未だにわからないが、結婚することにしたのだ。

結婚してからも生活は変わらず、むしろ悪化していったわけだが、私達はそれでも一緒に生きていた。

幸せだった、のだと思う。それは傷を舐めあい愚痴を言い合う、馴れ合いだけの生活だったかもしれない。それでも互いを理解しあえる人がいる、それだけで幸せなのだと思う。ただ、「幸せ」を消化するには時間と健康が必要だった。二人とも、置かれた状況のひどさから消化不良を起こしていた。

結婚後は彼女をその悪職から離れさせた。(それも一悶着あったのだが) そして時間に余裕のあるパートとして働きながら私を支えてくれていた。

だが、先述した通り、私は壊れてしまった。しかし引き換えに私は素晴らしいものを手に入れた。いや、もともと手にしていたものを改めて発見したのだ。

倒れ、入院した私について来ていた彼女は言った。

「お茶飲む?」「うん。」

「漫画持ってきたけど読む?」「うん。」

「私の顔見える?」「うん。なんで?」

彼女は突然号泣した。

「すごい久しぶりに戻って来てくれた。」

はっとした。長い間、2人でいても顔を合わせて話すことなどなかったのだ。彼女は死人と暮らしていた。今回入院したとはいえ、面と向かって話をできたことが嬉しいと言った。

今度は私が号泣する番だった。抱き合って2人で泣き続けた。

私を救う天使は一番近い場所にいたのである。

 

その夜、私は会社を辞めることを決めた。

 

【最終章】新たな一歩

妻は「多少の蓄えもあるし、失業給付もあるからなんとかなるよ。」と後押ししてくれた。

だが、そこからの行動は実はよく覚えていない。入院で疲労が癒え、頭もだいぶスッキリしてはいたが、すぐに目が覚めるというものでもないらしい。

まず、支店長と掛け合いをしたのは覚えている。「もう無理ですね。」「なにが?」「精神的に参っちゃって、もう働けません。」「そんなもんみんな一緒だよ。なに言ってんの?今辞められると困るんだよね。なんとか続けてよ。」「いや本当に無理です。」「え、マジなん?」「マジです。」とりあえず社長と相談する、と言われた気がする。

そこで心療内科に行くことにした。簡単に今の現状を伝え、「辛いんです。」と繰り返した。簡単に鬱病の診断書を出してくれた。だが妻と相談して薬は捨てることにした。一緒に頑張ろう、なんとか乗り越えようという気概が芽生え始めていたからだ。

次の日、社長と面談があった。すぐさま診断書を提出する。唸る社長。「なんとか残れないか?」「なんなら部署を変えて様子を見よう。」「他のものが迷惑するだろう?」「君には期待しているんだ。」

今更なにを言っているんだこいつは。今まで散々SOSは出してきたはずだ。職場環境改善案も何種類も出した。何人も辞めていった。全てスルーしておいて引き止めようとするこいつはなんなんだ。

怒りは時として1番の燃料になるらしい。かつての営業時代に戻ったように口が回った。

「お言葉ですがここ何年も状況は悪化するばかりです。私はここでは人として生きていけません。お願いですから辞めさせてください。死にたくはないんです。」

かなり長く慰留されたが、退職願は受理された。

驚いたのだが、使うことのなかった代休と、これまた一度も使うことのなかった有給(いずれも有効期間は2年間だったが)とを足すと、最長で7ヶ月近く休めることになる計算になった。

まずは最終出勤日を決めて伝える。人事と支店長がせめて引き継ぎが云々とか言ってきたが無視した。最後の奉公でその期間も取ったつもりの日程にしたからだ。そこまで考えることができるようになった自分に、少し嬉しくなった。あとは粛々と引き継ぎなどの業務をこなし、最後の日まで過ごした。

あとは休みを消化するだけ。人生の夏休み気分だった。この頃にはだいぶ回復し、顔色も明るくなっていたらしい。

妻に報いるため、自分を労わるために旅行に出たりもした。温泉巡りなどをして、妻の行きたいところを重点的に回ったりもした。「遅れてきた新婚期間みたい。」妻は笑った。

引き継ぎで回った客先からは引っ切り無しに電話がかかってきた。先に退職していった戦友たちからも声がかかった。年齢も年齢だっただけにありがたい申し出だったが、少し考えさせてほしいと保留してもらっていた。なんといっても働けるだけの自信はまだなかったのである。

2ヶ月ほど経った頃、昔一緒になって飲んだり遊んだりしていた、妻とも共通の知人から連絡をもらった。どこで聞いたのか私の現状を知っており、かなり心配をしてくれたようだった。かなり長い間ご無沙汰していたのに、ありがたかった。

「突然だけど…。」と切り出した彼は、それを踏まえた上で非常に具体的な内容で自社に誘ってくれたのだ。職種は営業だが理不尽なところはない、ゆるい社風であるところだとかをやけに強調していた。一度本社を見に来てくれという。かなり控えめに言われたのだが、なんとなく断りづらいほど一生懸命だったのが気になって、妻と東京旅行がてら行って見ることにした。

行ってみたら笑った。いきなり社長がいたのだ。はめましたね?と目配せすると彼はにやりと笑った。大きな会社ではあるが、社内の雰囲気も良さそうで、なにより皆楽しそうだ。そして彼がやたら頑張って勧めてくる。社長の人柄も良さそうだ。

私は弱い人間であることを自覚していたし、また会社員として働くことにも抵抗がなかったわけではない。ただ、独立するという勇気を持てずにいたのも事実だ。そして守るべき家庭もある。いずれは金も尽きる。そしてこの頃にはだいぶ体調も戻り、判断するための思考力も回復していたと思う。

妻とも相談した上で、北海道勤務なら、という条件で話をしてみた。彼は喜んで段取りを組んでくれた。そこからはトントン拍子に入社することが決まってしまった。

私は地獄から生還した。それだけで充分だ。

 

私は生きているのだから。

 

 

今はどうなのかって?

私のブログをご覧になればお分かり頂けると思う(笑)

 

※登場する個人名は実在しません。

※わずかに脚色しています。

 

感想戦は後日。