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のえる(仮)のなんでもかんそうぶん

札幌市すすきの・大通界隈で(大体)1人で食べ歩きや飲み歩き、読書や日常などのなんでも感想文です。

或る営業マンの回想

【序章】はじまりの色は白

2月とはいえ珍しく雪が降っていた。

「支店長!調子いいですね!」私は帰社すると同時にそう声を掛けた。「大山、これは良いとこ行くかもしれないな。」支店長の高村は上機嫌だ。

全国に支店のある年商200億程度の小規模外資系メーカー。ここは昨年新設された新しい支店だった。人数は少ないが、売り上げの好調さから皆意気盛んだ。新設に伴って中途採用された私は、この3月末で入社からちょうど一年経つ。

この一年で担当しているエリアは昨年対比で300%。支店としても240%と素晴らしい伸びを見せていた。

この会社の顧客は販売店であり、その先の小売店だ。個人顧客が相手ではない。ゆえに主な営業手法としては、自社商品を販売してもらえるように顧客を教育する、いわゆるコンサルティング的なものとなる。顧客の販売戦略を立案し、自社商品の強みを理解してもらうためにプレゼンをする。その手法で個人顧客に販売をしてもらうのが基本となる。

打つ手が全てハマる。顧客企業は売り上げの増加をもたらした私に、最大限の賛辞を贈る。「もっと売り方を教えてくれ。」「あれ試してみたけど好評だったよ。」否定的な意見などどこにもない。悪い言い方をすれば私のいうがままだった。

営業としてこんな快感を得られることは以前の会社ではなかったことだ。気分が高揚し、私は社会人になってから初めてこう思っていた。

「仕事が楽しい。」と。

次の年も同様に好調だった。支店長の高村はすこし不摂生がたたった大きな体をしているが面倒見の良い親分肌の人物で、他の先輩方も申し分なく良い人ばかりだった。仕事終わりに飲みに行って、皆で騒ぐのも楽しくて仕方なかった。営業として、社会人として毎日充実していた。

しかしその年の2月に思いもかけないことが起こる。「大山、ちょっといいか?」ふいに支店長の高村から呼ばれ、応接室に入るよう促される。「4月から北海道行けるか?」

「え?」正直に言うと寝耳に水だった。担当エリアは誰が見てもうまく回しているし、顧客からの評価も高い。なによりまだ入社2年だ。

「というより社長命令なんだよな。北海道の成績落ちてきてるからお前ご指名なんだわ。こっちも痛いんだけどなあ…。」確かに北海道の苦境は私も聞いてはいた。東京本社に次ぐ売り上げのボリュームを持っていた北海道支店は、ここ数年落ち込みが激しく、人も定着しないとの事だった。

私はそもそも総合職入社だったため、転勤は可能という条件だった。今思えば「社長ご指名」に気を良くしていたのもあったのだと思う。ましてやこの2年の成績によって、営業としての自信もついてきたところだった。また、北海道という土地にも微かな憧れを持っていたのだ。

「行きます!」

この時、これが地獄への片道切符となることは知る由もなかった。

 

【第一章】お客様は悪魔です

場所が変わっても、顧客層は一緒だし商品も一緒だ。何も心配はない。そう言い聞かせながら転勤生活が始まった。

「大山です。よろしくお願いします。」「おお噂は聞いてるよ。俺も今年からこっちなんだ、よろしくな。」水上支店長、目つきの鋭いこの小男がここでのボスだった。あまり良い評判は聞かない。北海道支店長が2人、立て続けに退職したために本州から呼び戻されたと聞いた。年は割と若いが、神経質そうな印象を与える人だ。

「じゃあ大山には道東エリア(北見・帯広・釧路)を担当してもらうから頼むな。」

他の4名、私を合わせて5名の営業エリアが決められた。

支店営業の中では最年長の徳永さん、年下の先輩である牧田、同期で年齢も一緒の田中、新卒の高橋。私以外は全員北海道民だ。前日に、出社前にプライベートで歓迎会をしてくれた。皆良い人そうだったが、席上での徳永さんの一言が気になっていた。

「頼むよ大山ちゃん。道東の担当は前も、その前も辞めちゃってさ。別エリアのやつもひとり辞めちゃってマジできついんだわ。」

支店長も合わせて直近で5人も辞めてるってどんな所なんだ…。言い知れぬ不安を抱えながら道東担当として走り回ることになった。

引継もろくになかった。当然だ、前任と前々任が逃げるように辞めてしまっていたのだから。ただこのエリアのキーマン、大手販売店の購買担当だった遠藤だけは、徳永さん同行のもとでしっかりと面談をすることになった。

「なによ、また担当変わるの?お宅一体どうなってるのさ。やりづらいったらないっしょ!」

相手は40後半位のリーゼント風の髪型をしたがっしりとした体格の男。迫力があるというよりも暴走族をそのまま大人にしたような風貌だった。だいぶ前にこのエリアを担当したこともある徳永さんが、横にいる私にもわかるぐらいピリピリしているのが感じられる。取り急ぎ謝罪し、簡単な挨拶を交わして雑談をする。

「まあウチに迷惑かけないように頼むわ。」鋭い目線でそう言われたところで面談は終わった。

「徳永さん、なんかこええっすねあの遠藤って人…。」

「大山ちゃん…最近辞めたって言った5人のうち4人はあの人のせいで辞めてるんだ…。大山ちゃんは辞めないでね…。」

いい年をしたおじさんが涙を浮かべていた。私はここで初めて気付いた。ババをつかまされたことに。

それからはとにかく彼の意に添うようにした。無理な納期や価格交渉、酒の席まで全力で対応した。支店の皆も出来る限りバックアップをしてくれていたと思う。なにせ支店のある札幌からは車の移動だけで片道3時間かかるのだ。バックオフィスの支援は欠かせない。

程なくして営業同様、バックオフィスも被害にあっていたことがわかった。受注や出荷を担当する部署に直接電話がかかってきて、アルバイト・パートの女性に暴言を吐き、怒鳴り散らすのだという。曰く「テメエそんなこともわからねえのか!」「おめえ一体いくつだよ。だから旦那もみつかんねんだよ!」「ちょっとこっち来いやオラァ!」バックオフィスでは遠藤への対応が嫌ということで5人が辞めていた。

その後は、なんとか波風を立てずにこちらの希望も聞いてもらえるような関係作りに励んだ。ギブアンドテイクというやつだ。ある程度コントロール出来るようにならなければ、時間とコストがかかりすぎる。

そういったことに腐心しつつ、当初から見れば関係は良くなっていった…ように思えた。

あの時までは。

ある人気商品Aが在庫切れを起こしていた。次の出荷まで約1ヶ月。当然在庫切れの前に、主要顧客には要望を聞いて回り、必要数の割り当てを怠らなかった。ところがである。

「おい、在庫無いってどういうことだよ!」

ある日の夜23時に突然電話があった。その時私は札幌におり、接待で他の顧客と宴席の最中だった。開口一番こう言われて、正直なんのことか分からなかった。

「在庫切れというとなんの商品ですか?」尋ね返した。「商品Aだよ!なんでねえんだよ!」「あれ、Aは先々週に切れたってお伝えしてますよね?御要望の個数は御社の倉庫に送ってあるはずですが…。」「だからそれ以外で注文とったんだよ!いいから明日持ってこいや!」電話は切れた。

まずいことになった、直後に思った。焦りすぎて、そもそもなぜ彼は無い商品の注文を取ってしまったのか、などとは考えられなかった。宴席の客先を待たせ支店長に連絡する。だが社内でいくら探そうが、無いものは無い。時間も時間だったが各営業が手分けして他の顧客にも在庫の確認をするが、どこも捌いてしまっていて当然無い。未明の1時まで手を尽くしたが、万策尽きたと連絡を試みる。

「お世話になります、大山です。」「テメエ今何時だと思ってんだ!殺すぞ!」「大変申し訳ございません遠藤様。先ほどの件お急ぎかと思いまして…。」「先ほどの件?もう頼んだだろ。つうかオメエ拒否権あるとでも思ってんの?!」「いやそれが他の顧客も含めて探したのですが、どこにも無いものですから、あと2週間で出荷できますのでそれまでお待ちいただけないかと。」「無理。明日持ってこい。以上。」電話は切れた。

取り付く島も無い。泣きたくなってくるが仕方が無い。こうなってくるとこちらも意地だ。

「大山です。」「なんなんだよオイ!俺が寝れなくて明日事故ったらオマエ責任取れんのかよ!」「しつこくてすいません。商品Aの件、申し訳ないのですがお待ちいただけますか?」「だから無理だっつってんだろ!つかオマエ今すぐ持ってこい!今すぐだ!」

あまり怒ることのない私だったが、生まれて初めて客にキレた。

「ですから無いものは無いんですよ!ましてや今アルコールも入ってますし運転もできません!そもそも当日の出荷で翌日着も御社向けに無理してやってるんじゃ無いですか!明日着けろってのすら普通じゃないでしょう!」

しまった。言ってしまった。

「テメエ偉そうに…。テメエが飲酒で捕まろうが俺にはなんの関係もねえんだよ!いいから持って来いよ!それとも何か?オマエの事情の方が俺の迷惑よりも優先するとでも思ってんのか!テメエウチの担当はずしてやっからな!」

「うるせえ好きにしろや!」

今度は私が電話を切った。そして携帯をぶん投げて壊してしまった。仕方がないので自分の携帯で支店長に事の経緯を報告。特にお咎めはなかった。「すまんな…多分それわざとだわ…よく断ってくれた…。」これが支店長からかけられた言葉だった。意味がわからなかった。

事務所に行ってわかった、発注書が来ていなかったのだ。つまり在庫の無い商品Aを受注したと見せて、無理難題をふっかけてきたわけである。事実その後2週間、遠藤から商品Aの発注は無かった。嫌がらせもここまでくると芸術だ。

その2年後に担当エリアが変わるまで(それも上層部に遠藤が働きかけ続けた結果らしいが)その顧客の担当は続き、無茶な要求はどんどんとエスカレートしていった。私は胃の重さを感じながらも、出来ることは出来る、出来ないことは出来ない、の姿勢を貫くことにしたが、断った場合には遠藤が支店長に直接脅しをかけて、出来ないことをコスト度外視で出来ることにしてしまうケースもあった。当然支店長とは事前に話し合って方針を決めていたから、そこは断ってほしいところなのだが…。

問題点としては、顧客の無茶に付き合い過ぎたところだろう。長い付き合いの中でなあなあになる。客先もより良い条件を引き出したいわけだから当然だ。以前から小間使いのようにハイハイと言いなりになっていたが為の結果ではなかろうかと思う。人間はどこまでも増長する生き物だ。

大体物流の取り決めをしてあるにも関わらず、今すぐ持ってこいって言われて片道3時間運転して持って行くなんて誰が最初にやったんだ。外から来た私は驚いたが、ずっと北海道支店に勤務していた営業は成績が下がることを恐れて続けていたらしい。後に続くものが皆辞めていくわけだ。

それからはその流れを変えよう、正常に取り決め通りに関係を戻そうともがいてみたが、全ては変わらなかった。いや少しだけでも良くなったと思えばいいのか?無駄に衝突をしただけ損をしたのではないと思いたい。

売り上げは昨年対比で3%程度マイナスだった。遠藤の会社分のマイナスを他でカバーすることが出来なかったのだ。

間違いなく私の心は削られていった。この客先と今後もこのような関係を続けて、やっていける自信がなかった。道東方面に足を向けることが日々苦痛となっていったのだ。

後日談だが、東日本大震災直後に日本中の物流がズタズタになり、希望納期通りにならなかった時にも「俺に迷惑をかける気か!」と同様の事を言っていた。世の中には本当の意味で下衆な人間というのはいるものだ。

 

【第二章】敵は自社内に有り

ある年の3月、東京本社に全国から集合しての「全国営業会議」、私はそこにいた。この馬鹿げたイベントは数年に一度開催される。会社の上層部一同と各支店からすべての営業マンが召集され、4月からの新年度にどのような施策をもって業務にあたるかを全員の前でプレゼンするのだ。

発表のテーマは以下になる。まず重点販売ターゲットを決め、重点販売商品を決める。その他、目標売上の算出、目標利益率の設定、販売価格の設定、販売促進費の設定、イベントの立案、営業手法・ルーティンの設定、交際費などの付帯費用の設定などである。要するに一年というスパンの中で、いかにして売上・利益の最大化・効率化を図るのかをまとめろということだった。

初参加となる私は、4月からは今までに全く、もしくはほとんど売り上げの無い販売先を複数担当することになっていた。そのなかには全道に拠点を持つポテンシャルの大きな販売店もあり、事前の調査・交渉を行っていたが、いかんせん新規取引先であったので見通しは不安定だった。

手探り状態のなか、また、激務の間を縫ってその新規取引先の上層部とすり合わせをし、来期からの取り組み内容について合意を引出して、目標数値の設定をした後、各種予算・価格設定についても社長決裁を取ったうえで、なんとか発表資料は完成した。

私の取り組み内容は具体的にいうと現状売上0の販売店を、1年で10億円に育て上げるプランだった。年商200億の会社に与えるインパクトはかなり大きい数字だ。

そして会議当日、私はトップバッターだった。壮大な夢のプランを発表していく私。社長などの上層部も含めて総勢100名超の前での発表は緊張しはしたが、それなりに上手くやり終えたと思った。言いたいことはすべて伝えられたはずだ。

そして上層部による寸評。

「でかいことばかり並べ立てて一体何のつもりだ?」

3か月前に誰もが知ってる有名企業から社長が引っ張ってきた営業本部長の木谷だった。定年間際の小男で、とにかく嫌味なやつだった。社長が良い人でいたい為、代わりに社員にきついことを言うだけの腹話術の人形。飯を食う時に盛大に音を出すため、同席したくない男No.1でもある。

「そもそも発表に心がこもってない!」「こんな夢物語、誰が信じるんだ!」「現実味がない!」「こんな数字馬鹿げてる。」「お前はなにもわかってない。」「こけたら責任取れるのか?」「数字の読みが甘すぎる。こんなもの誰が承認するんだ!」「これが実現するとしたらお前が本部長やれ。出来るわけがないがな!」「今まで一体何年営業やってきたんだ。120%企画倒れするようなもん持ってきやがって。とっととやめちまえ!」

100人を超える衆人環視の中、罵倒につぐ罵倒でサンドバッグのように打たれる。話をしているうちにヒートアップしすぎて、言っていることが無茶苦茶だった。

それなりに自信のある内容だったし、実現は難しいかもしれないが当たれば会社にとって有益なプランだと思っていた。実際にその為に下準備もしてきた。事前に社長決裁も取ってある。だがマシンガンのように放たれる罵倒に撃たれ続けた結果、そんな気持ちは急速にしぼんでいった。そしてトドメを刺されることになる。

「たしかに本部長の言うとおりですね。大山君、決裁した内容は破棄するように。もっとコストを圧縮して、営業施策に厚みを持たせるようにしてください。」

社長だった。自分が一度決裁したものを、この舞台で撤回するというのだ。私は自分がとても哀れな生き物だと感じた。動悸や過呼吸を感じたのは人生で初めての経験だった。

おかげで4月からの月例営業会議の席や日々の支店内部では、支店長からいわれのない中傷やプレッシャーを浴びて、何度も心が折れた。やる気を奮い起こさなければ会社に行くことも難しくなった。

後日談として、その年度の3月には売上12億円に達した。当然のことながら上層部はだれも1年前の「全国営業会議」について触れなかった。成功事例を資料として作成してくれという、忙しい中で大変面倒な依頼を受けただけだ。そしてこれも当然のことながら、私が本部長になることはなかった。

 

つづく。

 

※登場する個人名は実在しません。

※わずかに脚色しています。